キャンパスは阿蘇。「漂流」して過ごした大学生の1年

阿蘇で生活するようになって1年が過ぎた。この春で慶応大3年生になった廣林花音さんにとってキャンパスはカルデラだった。この1年でコロナによって生活が変容する中、阿蘇の豊かな自然を学び舎にして、のびのびとした日々を送ることができた。

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阿蘇で20歳の誕生日を迎えた廣林さん

首都圏の大学に通う廣林さんが、阿蘇で生活するようになったのは2020年3月のことだった。旅行で鹿児島を訪れていたところ、新型コロナウイルスの影響で目的地の離島に行くことが困難に。帰ろうにも、飛行機が減便してしまい、帰るめどが立たない。
その日は友人のつてで、なんとか泊めてもらえることになったが、「目がウルウルでした」と心細いまま。直接帰ることを諦め、九州に滞在して戻る機会をうかがうことにした。面識のある人を頼ることに決め、阿蘇で農業を営む大津愛梨さんのもとに身を寄せた。
「漂流してたどり着いたって感じでした。最初は1週間くらいの滞在になると思っていました」ところが、コロナの感染拡大で滞在期間が延びていく。そうこうしているうちに、緊急事態宣言が発出。帰るタイミングを失った。

阿蘇暮らしが延長することになり、「なるようにしかならない」と腹をくくった。決めてしまうと気持ちも少し楽になった。19歳になったばかりだったが、精神的にタフである。

大津さんのところで米作りを教わり、近所に住む農家と仲良くなって手伝いに行った。秋に米を収穫するまで、大津さんの自宅近くで家を貸してもらいお世話になった。秋以降は「アソウト ラボ」に居を移して、南阿蘇の農家を手伝いに行くようになった。

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気持ちのいい縁側がワークスペース

想定外の連続だったが、もともと農業は好き。そのきっかけはモッツァレラチーズ。高校生のころに、チーズをいっぱい食べるにはどうしたらいいかと考えた。ニュージーランドに短期留学したり、日本の酪農家を訪ねて酪農について学んだ。

「そこで酪農家でも自家消費分の野菜を作っていて。料理を手伝っていると、シソ採ってきて、て言われたりしてるうちに、暮らしの中に農業があるって豊かだなと思うようになりました」

家と畑、学校。「公私一致」の環境

大学1年の頃は、農業の手伝いにと郊外にある畑に通っていたほどだった。その点、阿蘇では畑と家まで距離はない。加えて、大学はリモート授業になり、通学も不要に。
「家が畑で、家が学校。農業の現場に身を置きたかったので、公私一致の環境になったのはありがたかったです」
想定外ではあるが、むしろ思い描いていた生活とも言える。そうして、阿蘇の田畑が学び舎になった。

「新鮮な学び」がいたるところにあった。
富山県出身で、実家の周辺は田園風景が広がっていた。よく見ていた風景なのに、それでも米作りを知らなかったと思わされたという。
「稲に根っこを広げさせるために、田んぼから水を抜くんです。その光景は見ていたんですけど、何のためにやるのかは知りませんでした。田舎に住んでいても、農業に触れる機会がなかったんだと、ハッとさせられました」

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荷物の少ない部屋。もらいものや備え付けの家具が多い

それまでは「土に触れるのが好き、自然が好き」という思いの方が強かったが、自分の経験として学んでいくにつれ、考え方も深まっていった。

当たり前のことと前置きしながら、廣林さんは「生きていくために必要なのが食べ物だし、一次産業はすべての原点と改めて考えるようになりました」と振り返る。自分で稲を植え、雑草を取る。その苦労と向き合うことで、実感を持てるようになったのだ。

とても実りの多い時間を阿蘇で過ごした廣林さん。自分が経験していることを通じて、何かを学ぼうとする意志が、彼女にとって多くをもたらしている。同じように学生がやって来ても、意志がなければ、何も得られないかもしれない。
「自分が経験したから、納得してひとに伝えられるようになりました。経験しないと、自分の言葉にできないし、自分の言葉にできてなかったんだなって最近気づいたんですよ」

「持続可能」なプロジェクトを続けることが大切だと大学で教わった。なぜ持続可能が大切なのかということは、頭では分かっていたつもりだった。
阿蘇に来て、地元のひととのつながり、日々の営みから、その大切さを実感した。
「いいと思えるものがあるから次につなげたいし、その積み重ねが後から見ると結果的に『持続可能』なんだなって」と、持続可能は目的ではなく、手段なのだと知った。

阿蘇という広大なキャンパスは、廣林さんに多くの学びを与えてくれた。これは1人の大学生のケースに留まらない。阿蘇という地域にとっても大きな実りである。
2016年の熊本地震以降、東海大のキャンパスが阿蘇からなくなり、1000人の学生が姿を消した。ほとんどが卒業すれば阿蘇を離れるとはいえ、地域の担い手であった。農業アルバイトが不足、世代間の超えた交流も減った。

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起きた形跡の刻まれた布団、乱雑に積まれた本に、自分の大学時代を思い出す

オンラインで講義を受けられるのであれば、廣林さんのように短期間でも阿蘇で暮らしながら大学生活を送ることができる。そんな学生が増えれば、阿蘇がいっそう活気付くことになる。廣林さんの過ごした1年はそんな可能性の芽吹きである。

まったく想像していなかった1年を経て、廣林さんは4月後半から阿蘇を離れた。全国を巡り、さらに見聞を深めるためである。

阿蘇で過ごしたかけがえのない時間は、これからどう生かされていくのだろう。そんなことを尋ねると、廣林さんは味噌作りに例えて答えだした。

「大豆を収穫してタルに入れるまでも時間がかかっているのに、みそは1年、2年、3年って時間をかけて寝かせないと美味しくならないんです。自分の経験はまだ未熟なもので、時間が経つことでいろんな経験が混ざり合って、いいものになる気がしています」

この1年がそうだったように、どんな未来が待っているのか、確かなことは何もない。しかし、阿蘇での経験は大きな糧になる。それは確かだ。「自分にできることを一生懸命やっていきたい」。そう話す廣林さんは、きっと大きな花を咲かせてくれるはずだ。

※廣林さんのように阿蘇での暮らしを経験してみたい学生さんは、アソウトへご相談ください。